なうえすとの日記

え、1日1本書くって本当ですか?!(追記:嘘でした)

最近のマンガ、人間食べられ過ぎ説

っていうのを友だちに提唱されて一緒に「なんでだろうねー」って話していたのでここで書きながら考えてみようかなと思います。

 

2009年に『進撃の巨人』、11年に『東京グール』(何故か変換できない)が連載開始されてどちらもアニメ化実写化してるほか、【このマンガがすごい!】を獲得した『約束のネバーランド』も食料になる人間を描いてる。タイトルがど直球に『食糧人間』ってマンガもあれば、金魚が人間を食べる『渋谷金魚』ってマンガもあるらしい。

 

(※注意 上から2作品しか読んだことないので下の3作品は紹介だけに留めておきます)

 

インスタ映えを食事に求める風潮のカウンター文化とかじゃね?とかテキトーなこと言ってたんですけど、僕が最終的に行き着いたのは…

 

  • 今、被害者が強い

そういうことなのかなと思いました。

もちろんなんらかの被害にあった人間にはそれに見合った補填が必要なのは間違いないでしょう。しかし、自分が実は加害者ないし被害者を名乗る資格がないクセにそのアドバンテージから"被害者"の立場をとる人が増えているのでは、と思います。(悪徳クレーマーとか)

 

"被害者"は弱さを強さに変換することができるような仕組みではないでしょうか?

 

まあ、それは当然被害者と加害者の力関係を釣り合わせてやり取りを行うには必要なんですけども…

 

被害者(側に立つから報復として「一匹残らず駆逐してやる!」なんて暴言(?)を吐いて首筋ザシュザシュ切ってもオッケーってな感じで笑

 

食事という面で考えると人間は食物連鎖の頂点に君臨してしまったために、自分らがよく使う「被害者を守らなくてはいけない」ロジックの中の加害者側に立ってしまった。(動物保護団体は被害者側の動物の味方をすることで間接的に"被害者"の利益を受け取ってるやつらもいるのかも?)

 

加害者側に立ちっぱなしなのは損だよなあ、ってことで架空の食物連鎖の頂点を設定し直して晴れて全人類は"被害者"の立場を獲得するに至ったのである。(主人公は大体被害者と加害者の立場が半々でそこに葛藤が生まれていたりするような…)

 

書きながら考えながら…って感じで書いたので読みづれえよってなったらごめんなさい。

最後にみんながみんな「その方が得だから」って被害者になった時、もはやそこには誰も責任をとる人がいなくなるわけだからちゃんと悪いことをしたら「それ相応」の謝罪をしなくちゃならないし (それ相応なのはハンムラビ法典の目には目を的な感じでオーバーすると関係がループしてしまうから)  被害を受けた責任が自分にあると気づけたならばそれを他人に求めてはいけないと思います。

 

なんか全体的に被害者をやんわり叩いてるような気がするけど今回の要点としては

「被害者と加害者を釣り合わせる社会的な仕組みは当然必要なんだけどもそれを悪用して利益を上げている輩が出始めてから手軽に被害者というカードが切られがちになっているのは良くないんじゃないかなー」ってことです。

 

進撃も東京グールも途中までしか読めてないんで誰か貸してくれるとうれしいです☺️

 

 

 

 

これってそんなにおかしいことなの?

昨日見かけたツイート

 

これってそんなにおかしいことなのでしょうか?

「仕事の能力に関係ない。何を評価したいのか」

 

本当に関係ないの?

 

例えば

「その空間において通用しているルール、マナーを前もって調べる能力」

とかは測れるように思う。

 

というよりかは後ろについている「何を評価したいのか」の存在がヤバい気がする。

だって、上みたいな「例えば...」すら考えていない(または考えて思いつかなかった)状態でそのコメント書いている訳ですよ?

考えるないし調べる能力がない癖に「自分の能力を“正しい方法”で測ってくださーい」ってかなりアホっぽくないですか?僕はそう思います。

 

 

ここからは確信がないのでみんなの意見とか知りたい...

・出入りの仕方決まってたほうがラクじゃない?

出入りからフリースタイルで自己表現してくださーいって結構な負担だと思うんだけどこれってただのめんどくさがりですか?でも自己表現する場って面接官からの質問とかで用意されているもんなんじゃないんですかね?って思いました。(それともあれですか?「俺の“自己”は入り方から表現しないと収まり切らねえぜ」的な?)

 

・『入室のノックは3回・入室時は30度、退室時は45度でお辞儀する』だけでも十人十色な気がしない?

面接官全員にそこまでの見る目があるのかは知らないけれど、そこも実は十分評価の対象になりうるような気がしてきた。(真面目に剣道やってたら武道に絡めてうまいこと説明できた気がする...)

 

世界的には通用しないから、古い文化だから、とかで脳死批判する前にそれがある意味を自分なりに考えてみてから批判したほうがいいんじゃないかなーって僕は思う。

 

 

(こっそり)ブログ始めました。

 

どうも、しがない大学3年生の なうえすと と申します。

 

僕のことをご存知の方は

「え、なんで、ツイッターでめっちゃツイートしてる癖にブログにも手を出すの?」

「ネットで自己実現したがりかよ~」

と思うかもしれません。

 

僕がブログを始めたのはこれらのことでこのままだとマズいなと思ったからです。

  1. 長年ツイッターを使っていたからこそ
  2. ...

 

列挙しようと思ったんですけど

なんか1だけで間に合うような気がしてきたので

ささっと説明

 

  1. 長年ツイッターを使っていたからこそ

 

『面白い話』構築能力が...

 

 

ないです。ないんです。もともとあったか怪しいけれども。

ツイッターを6年続けてきた結果「ツイッター脳」になってしまったのだと思います。

 

身の回りで起きた面白かった出来事を50字程度に収める

または写真にちょっとしたキャプションつけるみたいなことの繰り返しにより

リアルに人間と喋るときに「会話形式だと話が盛り上がりきる前に終わってしまう」

 

『新聞の見出し』のようなパッとみて分かって終わるものをつぶやき続けた結果、『記事そのもの』についておざなりになってしまったんだと思います。

 

現にここまで書くことすらかなり悪戦苦闘しているしもっと書いてみたいこととかあるのに全然書けていないという...

 

だからこそ!

文章力を鍛えるためにもブログを書いていきたいな、というか書いていきます。

 

ただ三日坊主とまでは言わないまでもひと月ツーブロックくらいである自負があるので続くかな、これ...?